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Music of Trecento トレチェントの音楽

◆トレチェントについて
 「トレチェント」とはイタリア語で「300」のことです。それから「1300の年」ということから14世紀を指します。イタリアではダンテ、ペトラルカ、ボッカチオが活動していました。絵画ではジョット、シモーネ・マルティーニ、ピエトロ・ロレンツェッティなどの芸術家が新しい美を造り出していました。
 音楽の方面では北イタリアからトスカーナ地方にかけてマドリガーレ madrigale、カッチャ caccia、バラータ ballataなどの形式による世俗歌曲が、ポリフォニー音楽として発展しました。14世紀の前半に活躍していた作曲家は三人います。推定年代順に、マギステル・ピエロ Magister Piero、ジョヴァンニ・ダ・カッシャ(フィレンツェ) Giovanni da Cascia、ヤコポ・ダ・ボローニャ Jacopo da Bolognaの三人です。彼等は1330年代から1340年代にかけて、ミラノのヴィスコンティ家、ヴェローナのデッラ・スカラ家など、北イタリアの宮廷で活躍していました。
 14世紀中頃から後半にかけては、フィレンツェの音楽家の活躍しました。ギラルデッロ・ダ・フィレンツェ、パオロ・ダ・フィレンツェ、ドナート・ダ・フィレンツェらがあげられます。その頂点にいるのが盲目の名オルガニスト、フランチェスコ・ランディーニ Francesco Landini(1325頃-1397)です。他にもヴィンチェンツォ・ダ・リミニ、ニコラス・ダ・ペルージャ、バルトリーノ・ダ・パドヴァなど、イタリア中部から北部にかけて宮廷文化が盛んであった都市のひとたちです。
◆トレチェントの音楽家について
1. ヤコポ・ダ・ボローニャ Jacopo da Bologna
 ヤコポ・ダ・ボローニャはランディーニの師と思われます。彼は詩人のフランチェスコ・ペトラルカ Francesco Petrarca(1304-1374)と親交がありました。二人とも14世紀の半ば頃、ミラノのヴィスコンティ家の宮廷に出入りしていました。ペトラルカが憧れのラウラを讃えて作ったマドリガーレのひとつ『恋人にとって Non al suo amante』にヤコポは曲を付けました。彼はまた、フィリップ・ド・ヴィトリ Philippe de Vitry(1291-1361)とも交友関係がありました。しかし、彼の音楽の内容はアルス・ノヴァの影響は感じられません。
2. フランチェスコ・ランディーニ Francesco Landini
 フランチェスコ・ランディーニは幼少の頃疱瘡のために失明して、暗闇の恐ろしさから逃げるためにオルガネット(手持ちオルガン)の演奏の練習に熱中したと伝えられています。また「オルガンを弾いて欲しいという求めに彼が応じると、ほとんどの鳥はさえずるのをやめて静かになり、驚いたように集まって聴いていた。そのうちに鳥たちは前よりも喜びながら歌いだした」という文が残っています。当時のランディーニの名声の高さが伺われます。彼の墓碑はフィレンツェのサン・ロレンツォ聖堂の入り口を入った右手のところに残されています。彼の作品はバラータ141曲・マドリガーレ11曲・カッチャ2曲が知られています。
◆トレチェントの音楽について
 同時代のフランスの音楽であるアルス・ノヴァにくらべてトレチェントの音楽の特徴は旋律重視であるということです。記譜法もトレチェントの音楽は一時代前のアルス・アンティクヮの様式です。音楽もそれに従って複雑なリズムよりも如何に旋律を装飾するかということが主眼になっています。この頃の音楽の傾向は現代のイタリアとフランスの違いに受け継がれていると思います。イタリアは旋律重視、フランスはリズム重視と言えるかもしれません。

Last Update 29 November 2001
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